令和3年早々、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言が発出され、当初の期間も延長される等、年度末に向けた様々な事業の整理を行う時期、大変な制約のなかでの毎日が続きます。
昨年は、事業団にとって「県立施設の廃止」の方針が公表され、その後の事業終了に向けたスケジュールが一気に進み始めた年でした。
関係諸団体のご支援のもと、利用者様や児童の移行は勿論、事業の縮小と終了を控え、職員にとっては様々に迷いと葛藤の日々ですが、コロナ禍の制約の多い日々にあっても、デリバリーでの外食機会の設定や所内行事等、これまでと変わらず様々な工夫を重ねて子供達や利用者様と日々過ごしています。
県立施設「袖ケ浦福祉センター」の廃止方針と共に新たに設置された「重度の強度行動障害のある方への支援を検討する“暮らしの場支援会議”」も、昨年末よりその活動を開始しました。
県内で暮らす「生きにくさや暮らしにくさ、様々な困難」を抱える本人、その家族、支援者や関係者の多くが、その活動の先に安心と見通しを感じ取ることの出来る仕組みとなるために、これから数多くの実践事例を積み重ねていくものと思いますし、そのことが、県立施設廃止に不安を持ち続けてきた家族・関係者へ、新しい仕組み・新しい革袋の姿を示すことになるのだと思います。
「貴方に与えられたかもしれない病気の遺伝子を受け取って生まれた人がいる」。
山元加津子さん著書「4分の1の奇跡」の中の一文です。
「障害を引き受けた4分の1の人達の存在、遺伝子の多様性こそが進化・適応の源」と述べ、「そこにいること・そこにあること自体が価値のある、役割のあることなのだ。何か大きな枠組みの中で私達は生きている、生かされているのではないか」と。
私達はこれまで、「様々な障がいのある方々との関係の中で、私達がこの人について知っていることはほんの僅かでしかないこと。耳をすまし、心のアンテナを貴方に向け、そこかしこにある言葉にならない貴方の思いを拾い、そして、貴方の一歩を待つこと」、これらの言葉を何よりも深く理解しようとし、日々の支援の中で形にしようと努力をしてきました。
令和3年、今、職員一人一人の目の前の風景は決して平坦なものではありませんが、コロナ禍の多くの制約のなか、これまで同様、利用者さんや子供達と一緒に、新しい発見・充実と楽しみの日々を重ねられるよう、それぞれの一歩を踏み出しています。
理事長 相馬 伸男
私達は、様々な障がいのある方々が抱える暮らしにくさや困り感が少しでもなくなり、自由で豊かな暮らしができること、一人ひとりが笑顔の溢れ出る暮らしができることを目指し、必要な支援サービスを提供していきます。
そして、ここで出会い、共に暮らす時が、それぞれの人生にとってかけがえのないものとなり、新たな人生への扉を開くことのできる時となるよう、一緒に考え、寄り添い続けます。
名称 | 千葉県社会福祉事業団 |
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目的 | 千葉県と緊密な連携を保ちつつ県社会福祉事業の推進を図り 広く県民福祉の向上に寄与することを目的としています。 |
設立 | 昭和41年6月29日 |
住所 | 千葉県袖ケ浦市蔵波3108-1 |
電話 | 0438-62-2722 |
FAX | 0438-62-2785 |
昭和41年6月29日 | 社会福祉法人千葉県社会福祉事業団設立認可 |
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昭和41年7月1日 | 千葉県から千葉県袖ヶ浦福祉センターの経営受託 |
昭和41年7月18日 | 知的障害者更生施設(更生園)入所開始…定員70名 |
昭和41年10月29日 | 肢体不自由児施設(療育園)入所開始…定員100名 |
昭和42年4月1日 | 千葉県から知的障害児施設(養育園)の経営受託…定員50名 |
昭和42年10月1日 | 千葉県から知的障害者通勤指導施設(通勤指導所)の経営受託…定員20名 |
昭和44年4月1日 | 知的障害児施設(養育園)50名入所増設 |
昭和45年4月1日 | 千葉県から知的障害者授産施設(授産所)の経営受託…定員50名 知的障害児施設内長浦特殊学級が袖ケ浦養護学校へ移管され槇の実分校となる。 |
昭和48年3月31日 | 通勤指導施設一時閉鎖 |
昭和48年7月1日 | 千葉県から知的障害者通勤寮(畑通勤寮)の経営受託、入所開始…定員40名 |
昭和49年4月1日 | 知的障害者更生施設(更生園)30名増設、入所開始 診療・判定室設置 |
昭和50年3月1日 | 千葉県から身体障害者療護施設(鶴舞荘)の経営受託、入所開始…定員50名 |
昭和56年4月1日 | 肢体不自由児施設(療育園)及び身体障害者療護施設(鶴舞荘)が千葉県身体障害者福祉事業団へ移行 |
昭和57年4月1日 | 知的障害者更生施設(更生園)30名増設、入所開始 千葉県から知的障害者福祉ホーム(畑ホーム)の経営受託、入所開始…定員10名 知的障害者授産施設(授産所)通所授産開始…定員10名 |
平成7年4月1日 | 知的障害児施設(養育園)の定員を80名とする。 知的障害者授産施設(授産所)を「ながうらワークホーム」と改称し、定員を130名(うち通所10名)とする。 |
平成15年4月15日 | 知的障害者更生施設(更生園)ユニット形式の自立訓練棟「さくら荘」(8名)入居開始 |
平成16年7月1日 | 知的障害者更生施設(更生園)強度行動障害棟そよかぜ荘(4名)入居開始 |
平成17年3月31日 | 知的障害者通勤寮(畑通勤寮)、知的障害者福祉ホーム(畑ホーム)が民間移譲となり事業団の経営受託終了 |
平成18年4月1日 | ながうらワークホームが民間移譲となり、事業団の直営事業開始 千葉県袖ヶ浦福祉センターの指定管理としての受託事業開始(5年間) ながうらワークホームの定員を109名(うち通所19名)とする。 |
平成18年6月1日 | 児童デイサービス(風の子)事業開始…定員10名 |
平成22年4月1日 | 知的障害者更生施設(更生園)が障害者自立支援法に基づく障害者支援施設に移行し生活介護事業と施設入所支援事業を開始 |
平成23年4月1日 | 千葉県袖ヶ浦福祉センターの第2期指定管理として受託事業開始(5年間) |
平成23年9月1日 | 就労支援センタージョブくらなみを開設し,就労移行支援事業及び就労継続支援B型事業を開始 |
平成24年4月1日 | 知的障害者授産施設(ながうらワークホーム)が障害者自立支援法に基づく障害者支援施設に移行し、名称をアドバンスながうらとし、施設入所支援事業と就労移行支援事業と生活介護事業を開始 ながうら地域支援センター(共同生活援助事業)を開設し、知的障害者グループホーム(青葉ハイツ、椿ハイツ、スプリングハイツ)入居開始を開始。グループホーム数は13ヶ所となる |
平成24年5月1日 | 代宿地域支援センターを開設し、共同生活介護事業及び生活介護事業を開始 |
平成24年8月1日 | ながうら地域支援センターと代宿地域支援センターにて相談支援事業を開始 |
平成25年9月1日 | 障害者支援施設(アドバンスながうら)の生活介護定員を50名,就労移行支援定員を80名に変更する |
平成26年3月31日 | 就労支援事業所(就労支援センタージョブくらなみ)事業廃止児童デイサービス(風の子)事業休止 |
平成26年4月1日 | 障害者支援施設(アドバンスながうら)の施設入所支援定員を80名,生活介護定員を60名,就労移行支援定員を50名に変更し,新たに就労継続支援B型事業(定員20名)を開始 |
平成28年3月31日 | 児童デイサービス(風の子)事業廃止 |
平成28年4月1日 | 障害者支援施設(アドバンスながうら),児童デイサービス(虹の子)を,社会福祉法人佑啓会に事業譲渡 |
平成28年4月1日 | 代宿地域支援センター(共同生活介護事業及び生活介護事業),ながうら地域支援センターの知的障害者グループホーム3カ所及び就労支援事業所(ジョブくらなみ)を,社会福祉法人大久保学園に事業譲渡 |